Disco
 
 

 サンタを信じなくなったのは、小学校の低学年くらいのときだった。たぶん二年生だったと思う。
 何かを目撃したわけでも、誰かに何やら言われたわけでもなかったけれど、なんとなくそう思うようになった。だから、ショックを受けたりだとか、悲しんだりはしなかった。俺は。
 一方で、赤也は中三にもなってサンタを信じている。それを知ったのは、たしか二年前、俺が中二の頃だった。
 毎月配られる校内新聞も、今月は端っこのほうにサンタのイラストが使われていたり、購買にも手のひらサイズの小さなツリーが飾られていたり、学校のなかですらできる限りのクリスマスムードが漂わされている。学校の外に出た帰り道となればそのムードはいっそう濃くなって、街じゅうが浮かれてる。俺はそういう雰囲気も嫌いじゃなかったし、サンタが実在しようがしまいが、クリスマスはずっと変わらず好きだった。
 
 第三日曜日といえば、中学時代から変わらず貴重な部活オフの日だ。その日の舞台のひとつに選ばれた、どこにでもあるチェーン店のコーヒーショップ。この店ももちろんクリスマスムードの演出は抜かりなく、俺の頼んだホットチョコレートのドリンクにはサンタの帽子を被ったデザインのくまのクッキーが浮かんでいた。席について、とりあえず最初にそれをスプーンに載せて食ったら、「うわ、即食った」と赤也は笑った。
「そういや、お前、サンタさんに何頼むの?」
 なくなってしまったクッキーついでに、そんなことを聞いてみた。ご丁寧に「さん」付けをしたのは、このあいだ弟に注意されたからだ。同じ内容の質問を弟ふたりに投げかけ、まだサンタの存在を信じきっている弟たちに、皆にプレゼントを配ってくれる優しいサンタさんを呼び捨てにしてはいけないのだとまじめに諭されたことがあった。
「それなんスけど……まだ迷ってんスよねぇ」
 うちの上の弟よりも、というか、不本意ながらも俺よりも背丈を持て余した大きな子どもは、心底困ったという表情で、最近人気のゲームソフトの名前をふたつ並べた。そのうちどちらを選ぶか決めかねているらしく、「そろそろ決めねぇと、直前だと困るらしいし、サンタ」と、やや暗い顔で続けた。俺は笑いそうになるのを堪えながら、あの親切なおじいさんに「さん」付けしない後輩を、やさしく指導しておいた。赤也は普段とは打って変わって、その指導をすんなり受け入れた。
「それと、お前さぁ」
「はい?」
「クリスマスデートとかしたい?」
 さっきまで濁っていた表情は、驚いたようなまん丸い目で俺を見て、そして、その後あからさまに平然を装った。この短時間にころころ変わる表情がおかしくて、さすがにちょっと笑ってしまった。すると赤也の口角はきまり悪そうに下げられて、最初の表情に戻ったみたいだった。
「クリスマスって、アンタ、部活あんじゃねーんスか」
 赤也の言う通り、クリスマスの直前からはもう冬休みで、つまり当然毎日のように部活があった。がっつり夕方までの通常練習。高校のテニス部の細かな予定は知らずとも、そのくらいの見当はつくようで、そんな真っ当な意見が飛んできた。
「まあ、あるけど」
「俺らも全員出る日ってなってんスよ。みんなで玉川に嫌がらせ、つって。彼女持ちだから」
「ふーん? お前も嫌がらせされてんじゃん」
「俺は……もともとどうせ部活じゃん、先輩が」
「まーねぇ」
 ホイップの載ったホットチョコレートをひとくち飲み込んだ。赤也は自分のドリンクの表面あたりを眺めている。なにか言いたそうな顔をしているけど、だいたい想像はつくから、聞かない。
「イヴも当日も出んの? 部活」
「っぽいっス」
「レギュラー全員?」
「ぽいっスよ」
「すげーなぁ。でもま、ちょうどいいか」
 どうせ俺もだしな。
 そう続けたら、元気の良いとは言えない返事が曖昧に届く。
 さっきからずっと、サンタのプレゼントの話題のときほどじゃないけれど、目の前の顔がちょっとだけ曇り続けているのが、俺にはおかしかった。
「イヴは部活終わったら、すぐ帰んねぇとなんだけど」
「家族でクリパっスか?」
「そーそー」
「うちもたぶん、フツーにしますよ」
「うん。だから二十五でいいし、一緒に帰ろうぜ。ちょっと寄り道とかして」
 赤也はマグカップを口元に運びながら、「べつにいいっスけど」と可愛くない返事をよこした。
「先輩がそんなに言うなら、まあ、そうしてやってもいいかな」
 そうやって、わざわざ可愛くない後輩っぷりをさらに付け足すものだから、俺はテーブル越しに赤也の足を軽く蹴っておいた。ばれてないつもりだろうけど、赤也は照れ隠しが下手だ。それは最近になって知ったことだった。
 
 このモールにひとりで来るのは初めてだった。学校の最寄駅からすぐそこにある、寄り道にはぴったりの場所だ。
 先月くらいから、このモールの周りではクリスマスのイルミネーションがライトアップされていて、立海生にもちょっとした人気があった。部活後、日の落ちてすっかり暗くなった道と、そんな電気の光のなかをひとり素通りして、施設内の店を適当に見繕う。
 とりあえず最初に入ってみた、俺も赤也も私服で着ているスケーターブランドの店で、手袋やらキャップやらを見ながら、まあ、何を選んでもいいような気がしていた。欲しいと思っていたものをそのままくれるようなプレゼントは、俺じゃなく「サンタさん」がしてくれるだろうし。
 いくつかの商品を候補として頭にメモして、そのまま店を出ようとしたら、壁にかけるように並べられたペンケースが目についた。赤地に黒のブランドロゴが入ったそれをなんとなく手に取って、そういえばあいつって、今も筆箱使ってねぇのかな、とか、そんなことを思った。少なくとも俺が中学にいた頃、一年くらい前、赤也は筆箱を使わずにシャーペンやらをゴムで束ねて使っていて、そのせいで買ったばかりのペンを無くしていたこともあったのを思い返した。
 ……これでいっか。
 なんとなくあいつっぽいし。
 店に入って吟味を始めてからプレゼントを決定するまで十分足らず、我ながらスピーディだぜ、なんて頭のなかで独りごちながらレジへと向かっていたら、
「丸井ー!」
 知った声が俺の背中に振りかかり、声の方向を振り向くと、元クラスメイトである友人の姿があった。去年クラスでよくつるんでいて、今でもオフの日にはたまに遊ぶような、仲の良い友人だ。
「よう。なんか久しぶりじゃね?」
「久しぶり〜。買い物?」
 そいつはそう尋ねたあと、そばに寄ってきて、ふと俺の手元のペンケースを見ると「あ、好きそう」と言った。「好きそうかな」と返すと、「うん。丸井っぽい」とも言った。
「そ? 一応俺のじゃなくて、クリプレだけど」
 何も言わないのも違うような気がしてそう言ってみたら、友人は「あ。弟にとか?」と感心したような顔をした。
「ちげぇよ、あんなの。じゃなくて、コーハイに」
「へえ、後輩……」
 あかや? と。
 ほんのちょっとしか間をあけず、友人は名指しでそう尋ねた。
「……そー、赤也」
 それで、前にもこういうことがあったのを、頭の隅で思い出した。俺がいつだったか同じように、後輩が、って言う言い方をしたとき、誰だったかにやっぱり同じように、赤也の名前を出されたんだ。
 べつに、俺、色んな奴の面倒見てるんだけどなぁ。
「後輩にクリプレって、すげぇ優しくね?」
「だろい。かわいがってっから」
 とりあえず本当のことを言った。そうして、さっさと精算を済ませて、ついでにその元クラスメイトと寄り道をして帰った。十八日のことだった。
 
 二十五日。校門のところで待ち合わせをした。部活終わり、ひとりで足早に部室を出て、門の手前には姿が見えなかったから、出てすぐのところを覗いてみたら赤也がいた。ほんのちょっとだけ赤い鼻先をしていたから、待ったかと聞けば遠慮なしに頷いた。
 俺の部屋のたんすにも仕舞い込まれている、中学の指定のマフラーと並んで歩く。見慣れた帰り道、店の看板周りのちょっとした電飾や小さなツリー、そういう街の浮かれた演出にはここ一ヶ月ほどでとうに見慣れて、肝心な当日である今日には、もうあんまり特別感も残っていない、ような気がする。
 俺達は相談の末、いつものファミレスに寄ることになった。赤也は「さすがにラーメンじゃないっスよね」と、一応クリスマスらしさを気にしているようなことも言っていた。
「そういや、ちゃんとサンタさん来た?」
 ステーキをナイフで切りつけながら聞いてみた。クリスマスだからってことで、いつもは他のメニューよりちょっとだけ高くて頼まないステーキを注文した。ファミレスのBGMも当たり前にクリスマスソングだ。
「来た! プレゼントくれたっス、注文した通りの」
「注文って……なんかアレじゃね? お願いとかって言えよ」
「同じでしょ」
「つか、いい子にしてたんかなぁ、お前」
 言ってみせると、赤也は、クリスマス限定メニューのローストチキンを頬のなかでもごもご動かしながら、目元だけはしっかりこっちを睨んで、何やら反論してきた。あんまり聞き取れない声で。
「……まあ、結構いい子だったか」
 そんな赤也の抵抗があったからじゃなく、俺としての記憶を辿ってそうつぶやいてみれば、「結構はいらねぇ」とこんどははっきり文句が届いた。
 飯のあと、俺はパフェも食ったけど、赤也はデザートの気分じゃないと言って何も追加せずに向かいに座っていた。皿が下げられて空になった机に肘をついて、俺の顔の下あたりをぼーっと見ているようなときがあったから、パフェを分けて欲しいのかと聞けば、そういうわけではないらしかった。
 ファミレスを出た途端、突然下がった体感温度にふたり並んで身震いをした。さっきまで似たような気温のなかで、俺も赤也もユニフォーム姿だったというのに、そんなことはお構いなしにやっぱり寒かった。赤也とこうして並んで帰るのはたぶん、ひと月ぶりくらいで、一ヶ月のあいだにすっかり冷え切った街を、例年通りに恨めしく思った。
 
「先輩。今日、家まで送ってあげる」
 電車のなか。なんでもない会話の途中、赤也は唐突に言った。「前、来てくれたし」と続けながら、赤也は言葉通りに自分の降りる駅を見送って、俺の隣に居座った。
「え、マジ?」
「マジ」
「律儀かよ」
「律儀っスよ」
 俺と赤也の家は近いとは言えない距離で、普段はわざわざ送り合ったりなんかしない。赤也の言った「前」だって、ほんとうにだいぶ前のことだった。俺達は付き合い始めてから、たまに、でもそれまでよりは頻繁にふたりで帰るようになった。でも、いつも、赤也が自転車のときは駅のところで解散、電車のときは降りる駅でバイバイ、そんな感じ。
「クリスマスだから律儀になってんの?」
 ほんとうのところ、俺も同じだった。赤也が今日だけはわざと乗り過ごした、さっきの駅で実は俺も降りようと思っていたから、その提案に少し驚いたくらいだった。だから、べつに自分だけ、クリスマスだからってことを意識してるわけじゃあないのに、赤也はやたらと焦って否定した。なんとなくだとか、今日はそんなに寒くないからとか、嘘まで並べて、下手な照れ隠しで。
「あー、はいはい。わかったわかった」
「ぜーってぇわかってねぇ……!」
「わかったって。な、サンキュ」
 右手を伸ばして、赤也の頭を撫でた。ふれ慣れた癖っ毛の黒髪。そういえば、いっしょに中学生だった頃は、もうちょっとだけ短かったかな。
 きちんとした否定は諦めてしまったらしく大人しくなった赤也と、俺の駅に着くまでのあいだ、またなんでもない会話を重ねて、そうしてふたりで電車を降りた。赤也は今まで何回かうちに来たことはあるけど、慣れない駅には変わりないから、ほんのちょっと居心地悪そうにも見えた。
 駅を出て、俺の家のある住宅街に近づくと、駅前や、学校のそばのショッピングモールやファミレスが演出していたようなクリスマスムードはほとんど消えてなくなった。今日は寒くないからという理由で、わざわざ送ってくれるらしい後輩が、この街で俺の隣にいることだけ、昨日だとか明日とはちがう、些細なクリスマスらしさみたいなものだった。
「あ。ちょい、そろそろストップ」
 ふと、そう呼びかけて立ち止まると、一歩だけ先に出たところで赤也も立ち止まった。この辺りすぐが俺の家なわけじゃないことを知っている赤也はこっちを振り向いて、「なんスか?」と不思議そうにしていたけど、とりあえず何も答えずに、ラケットバッグのポケットにしまっていた紙袋を取り出した。
「ほら、メリクリ」
 それをそのまま、一歩先の律儀な後輩に差し出す。
 赤也は、俺が一週間前から用意していたそれをぎこちなく受け取ると、すぐにうれしそうな顔になった。サンタにプレゼントをもらった子どもみたいに、楽しそうににこにこ笑っているわけじゃないけれど、驚いたように大きく開かれた目とか、つい笑みが洩れたような口元で、赤也が喜んでいるのがわかった。
「……開けていいっスか」
「お礼は?」
「あーざっす!」
「よし、開けろい」
 紙袋に入ったビニール袋を取り出して、早速それを開く姿を見るのはなんだか楽しいものだった。赤いペンケースを取り出した赤也はそれを見つめて「うわ、すげぇ」と、下手くそな感想をくれた。
「あざっす、丸井さん」
「使う?」
「マジで使います!」
 赤也はもう、すっかり口角の上がった表情で、機嫌良く笑っていた。こういうところは調子良いというか、素直なんだよな。まだ手元のペンケースをじっと眺めている赤也に、「お前は?」と問いかけてみると、何のことだかわからないという顔できょとんと顔を上げた。俺は、そんな赤也らしい反応に少し笑えてしまうような気持ちと、こいつはそれなりに恋人同士のクリスマスの自覚があるんじゃなかったのか、という懐疑の気持ちが半分ずつくらいで、「ねぇの?」と付け足した。
「あ、ります。ある」
 やっと質問の意味を理解したらしい赤也は、肩のラケットバッグを下ろしてポケットのジップを開く。さっきの俺とおんなじ作業をこんどは見届けていたら、「はい」、と、ビニール袋を差し出された。
「サンキュー」
 それを受け取って、袋を持ったまま中身を覗いてみたら、それはいつも見慣れている商品に見えた。もしかしてと思いながらも取り出すと、やっぱりそれはグリップテープだった。
「ははっ」
 しかも、それが、たまたま持っていたあり合わせを適当に差し出したものなんかではなく、ちゃんと俺のために買ったものだということは明確だった。赤也は使わない、俺の好きな薄いグリップ。それでついつい込み上げてくる笑いを隠さずに、「クリスマスにグリップかよ」と言うと、赤也は「だって、何欲しいのかわかんねぇし」と、さっきまで機嫌の良かった表情はすり代わって、すっかり拗ねた顔になった。
「テニスばか」
「うっせぇ」
 アンタもでしょ、赤也は吐き出すように、そうやって俺を道連れにした。生意気だけど、たぶん、それも嘘じゃないみたいだった。だって俺はこのプレゼントをもらって、機嫌が良くなってしまっているのが自分でもわかった。さっきの赤也みたいに。
「しゃーねえ。使ってやるか」
「当然っスよ、感謝して使ってください」
 笑っている俺につられてきたのか、赤也もだんだん少し笑顔になってきて、あー、クリスマスってやっぱ、こういう感じなんだな、なんてことを、なんとなくぼんやり思った。
 いつのまにか、最初俺達の間にあった一歩分の距離は半分くらいになっていて、その残りの半歩分を、今日はそれから俺がなくした。伸ばしたのは左の手のひら、ふれ慣れた黒髪ごと赤也の頭を引き寄せて、唇に唇をくっつけた。俺達がキスをするのはこれで四回目だった。キスをしたあとに、赤也がなんにも考えてないような顔で俺を見る、そんな数秒の時間を、俺はもう好きになっていた。
 いつも帰り道、一日に一回が決まりみたいになっていた俺達のキスは、今日だけは初めてちがった。ひとけのない場所を選んだけど、人が通らないだろうかとか、頭の隅で一応気にしながら、でも、そればかり考えてはいられなかった。イヴにも会わずに、今日だって二時間ぽっちのデートしかできない俺達が、それでもクリスマスに浮かされた結果だった。
 
 もう少し歩いたところで、昨日、家でケーキを二種類焼いたという話をしたら、赤也は心底うらやましそうな声で「食いたかった、それ」と言った。それがなんとなく少し意外で、「そうなんだ?」と返すと、
「そりゃあ、そうなんじゃないっスか」
 俺の後輩はなぜか、また拗ねたような声を出していた。反対に俺は、やっぱりちょっと上機嫌な気持ちになる。
「じゃあ、来年は一緒に焼く?」
「来年も部活っスよ」
「はは。やっぱ部活の後だな」
 そうやって来年の話をしながら、未来のことをちょっと想像してみた。一年後だか、二年後だかわからないけれど、いつか赤也がサンタの不在を知ってしまったとき、俺が話を合わせていたことなんかを、こいつは怒るだろうか。なんで教えてくれなかったんだ、裏で笑ってたんだろ、なんて言って。それとも、自分のために黙っておいてくれたのだとなんとか堪えるだろうか。
 どの反応も俺には気になって、その答え合わせができるだけでも、来年だとか再来年が楽しみだった。赤也より、うちのチビたちのほうが早くサンタの正体に気づいたりして。
 そんなことを思うとまた笑えてきて、そんな俺を見て赤也は「なんスか」と眉をひそめた。正直に言うわけにはいかないから、俺は「いや……」と言葉を濁す。そして、
「今年は俺だけのサンタさんが来てくれてうれしいなー、つって。恋人がサンタクロースってやつ?」
 適当に笑みの理由をくっつけて、それは冗談みたいなつもりだったけれど、言ってる内容はなまじ本当だから、真っ当に受け取ったらしい赤也はぎこちない表情で固まった。
「そっスか」
 俺の、あんなくだらない本当の話で、赤也の鼻先と、あとは頬のあたりがちょっとだけ赤くなっているのを見て、俺はあのひとけの少ない場所から家まで歩み始めてしまったことを少しだけ後悔した。
 あと五、六分で家に着く。
 それでも、まあ、手元にはもらったプレゼントがある。
 また来週ぐらいだろうか、グリップテープを巻き替えるのが楽しみだった。