かき氷と妙技について
 
 
 夏の丸井家を想像して、丸井家のかき氷機は電動じゃなく手動じゃないと嫌。だと思いました。Tシャツとハーフパンツ姿(パワーリストはつけたまま)でかき氷機をゴリゴリ回してる長男を見たい。
 部活オフの日曜のお昼に、兄弟全員分のかき氷を作ってくれてるブン兄ちゃんの横で、うすい色付きの透明なプラスチックのうつわを持って待機する弟ふたりは、かき氷のシロップがじつは全部同じ味だとまだ知らない……。 
 なんというか丸井くんというお方の人格の素晴らしさって、かき氷のシロップが全部同じ味だと知ってもなお、いちご味とメロン味とブルーハワイ味のシロップが分けて作られていることの価値はなにも変わらないと思っていそうなところだなぁ。とも思いました。 
 丸井くんはもの作る側、エンターテイメントする側の人間だから、食べ物を食べるという体験の素晴らしさは、味そのもののみではなく、見た目や匂いやシチュエーション、そういう全ての要素の総合で、ひとつの価値が生まれてることをわかってそうなところが最高。
 そしてそれは彼の全ての価値観に通じているのではないか? 
 たとえば、より「天才」なのってどちらかというと丸井くんよりも芥川さんであり、それって丸井くんもわかってると思う。もしも丸井くんが練習の時間に寝てたらレギュラーにはなれてないだろうし、天性の手首の柔らかさも持ち合わせてない。でも、丸井くんのボレーは間違いなく「天才的」。丸井くんが天才だろうが凡人だろうが、彼のボレーは「天才的」。 
 そのことは丸井くん本人がいちばんわかっているから、芥川さんが丸井くんのボレーや、丸井くん自身のことを褒めてくれる好意を、なんのひっかかりもコンプレックスもなく、あっさりと大事に受け取れるんだと思います。 
 「天才の自分」のボレーに意味があるのではなく、自分の「ボレーが天才的」であることが大事で、そんな妙技を繰り出せる自分はいい選手! っていう自信の持ち方だから、基本的に丸井くんは健全で、そして揺るぎなくカッコイイのだ。
 だから、関東決勝D2で自分のことを凡人って言われても、反論する描写は特にない(言い返すこともなければ、ムッとする表情などすらも原作で描写されない)。侮辱的な意だからいい気はしないと思うけど、反論を我慢してるわけでもなくて、そんなに気にならないんだと思う。
 自分の決め台詞に対しての、相手の「うるせーこっちが勝つ!」的な意気込みの表現だって理解してるからかもしれないけど、実際、自分が天才か凡人かって、丸井くんにとって本当にあまり重要なことじゃないんだと思う。だって、それは自分がテニスが強いか弱いかという話ではない。もとの素材の話、かき氷のシロップの味そのものの話でしかないから。あくまで個人の解釈ですが。かっこいいです、シビれます!