アイム・プラウド・オブ・ユー
 
 
「あ、この花たち、赤也が贈ってくれたのと同じだよ。わかるかい」
 学校の近くの園芸屋で、ずらりと並んだその花をさして幸村さんが言った。人を紹介するみたいに、手のひらを花に向けて。わかるというか、覚えていた。黄色とか赤とか紫とか、いろんな色のある花だった。その花の名前はそれなりに聞いたことのあるもので、だから名前も覚えていた。秋から咲き始めて、冬も越して、春になっても咲く花だってことも。それが理由で、あのときこの花の鉢植えを選んだから。
 
 ◇
 
 合宿のあいだ、幸村部長とわりと長い時間、なんでもない話をした日があった。
 家族の話とか、趣味の話とか、学校の話、部長たちが卒業したら使う高校の校舎の話だったり、そういうことをだらだら話しているあいだに、旧校舎と高校の校舎の真ん中にある花壇の話題になった。
 あの花壇は学校でいちばんきれいで、だからあそこにある立派な花たちが最初は何もないところから生えてきたというのがあんまり想像できないと話したら、部長は笑った。あの子たちが種や苗だったときだって毎日見かけていたはずなんだけどなぁ、と困ったように笑ったあと、でも、見る目はあるね、とちょっと自慢そうに笑った。
「いつか赤也も何か育ててみたらどうかな」
 実際に自分で植えてみれば想像もつくさ。
 そういうふうに提案されて、俺は花が地面から出てくることよりも、花を育てている自分のほうがもっと想像できないと返したら、部長はおかしそうに、でも静かに笑った。いつもみたいに。
 植物を育てるなんて小学校の授業でしかやったことがなくて、それすらも真面目にはしなかった。だから自分が幸村部長みたいにきちんと花の手入れや水やりをしている姿はやっぱり想像できなかったけど、できないぶん、なぜかちょっとだけ興味がわいた。その小さな興味はあの日から時間が経ってもあんまり消えなくて、だからあれから少しして、幸村部長にそのことを話してみた。
 
 ◇
 
「覚えてますよ。パンジーでしょ」
「そうか。あのときはありがとう」
「いや、でも、あれダメだったし」
 お見舞いとして鉢植えをあげるのが良くないってことをあのとき俺は知らなくて、それを病室へ持っていったあの日、真田さんたちに怒られた。幸村さんはそんな先輩たちを止めてくれたし、今とおんなじようにお礼を言ってくれたけど、それでもやっぱりあんなときに縁起の悪いことをされたら、俺だったら気分が良くない。と思う。
「駄目でもうれしかったんだよ」
 たぶん、俺の隣でその花を見ながら幸村さんが言った。
 俺はあのときと同じに、なんて言ったらいいかわからなくて、とりあえず頷いた。
「だから、こんどは俺がプレゼントするよ」
「え、いいんスか」
「もちろん。お返しだからね。それに赤也があの花壇で花を育ててくれるなんて、うれしいなぁ」
 いつもこうやって穏やかに喋る人だけど、ちょっとはしゃいでるようにも聞こえた。なぜか褒められているような感覚になって、少しくすぐったかった。
 幸村さんは育てやすい花の苗を選んでくれた。これからすぐに花が咲いて、夏の暑さにも強い、秋頃まで咲いてくれる丈夫な花だと言っていた。聞いたことのない名前だったけど、苗の横に置いてあった花の写真は、白やオレンジやはっきりとした黄色で、あの花壇に似合うような気がした。
 
 店を出てすぐ、幸村さんは苗の入った袋を手渡してくれた。お礼を言って受け取って、こんどいっしょにあの花壇に植え替えてもらうように頼んだ。幸村さんは快く引き受けてくれて、卒業してからまだ一週間も経っていないのに、久しぶりに学校に行けるのが楽しみだと言ってくれた。駅まで歩いて、同じ電車に乗り込んで、俺が先に降りる駅のその別れ際に、「そうだ、赤也がくれたパンジー、今年もきれいに咲いてくれてるよ。よかったらこんど、うちに見に来てくれ」と誘ってくれた。なんとなくああいう鉢植えの花は、いちど咲いて枯れたらそれきりなのだと思い込んでいたから驚いた。幸村さんの家はものすごい豪邸だとほかの先輩から聞いたことがあって、となると当然興味があったから、もちろん行くと返事をして、笑った幸村さんに会釈をして別れた。電車を乗り継いで、ひとりで席について手元を見たとき、自分の片手に植物の苗の入った袋があるのは新鮮で、少しそわそわした。あの冬の鉢植えを、ダメでもうれしかったと言ってくれて、俺だってうれしかった。
 
 ◇
 
 苗を学校の花壇に植え替えて一週間くらいが経った。
 三月に入った頃からは、大きく咲いている花が広く増え始めて、今までよりももっと色とりどりになってきた花壇のなかで、植え替えたばかりの俺の苗のスペースはとても目立っている気がした。
 幸村さんはすぐに咲く花だと言っていたけど、具体的にいつごろ咲くのか聞けば、長ければ一ヶ月くらいはかかるらしい。俺にとっては一ヶ月は「すぐ」だなんて思えなかった。
 それに、幸村さんはまた四月からはこの花壇に毎日のように顔を出すだろうけど、三月のあいだは別だ。この花壇の世話をしてるのはもちろん幸村さんと俺だけじゃあないから、あの人の花壇がどうこうなってしまうことはないと思うけど、この苗だけはやっぱり俺がどうにか育てないといけないし、幸村さんが戻ってくるまでに苗のまま枯れてしまったらどうしよう、なんてことも正直思った。なんせ、小四かそこらの理科の授業で育てた花は枯らしてしまった。
 まだ買ったときとあまり変わらない姿の苗をそんなふうに眺めていると、俺の名前を呼ぶ声が後ろから聞こえた。それはこの一年間聞き慣れたクラスメイトたちの声で、よく話す野球部のやつらだった。俺がじょうろを持って花壇の前に立っているのはそいつらにとってもやっぱり意外みたいで、「何やってんの?」とそのまま遠慮なしに聞かれた。
「花壇の……世話?」
「え、なんで?」
「なんでだろ。先輩にすすめられて」
 最初は不思議そうに首を傾げていたクラスメイトの表情が、俺の返答を聞いた途端、合点がいったというものにすり替わった。
「あー! あのテニス部のな。部長だった人」
「あー、そうそう、その人」
 幸村さんは有名人だし、その有名人がこの目立つ場所にある花壇の世話に凝っていたこともやっぱり結構有名だったから、俺の言った「先輩」がその人のことだとクラスメイトたちにはすぐにわかったみたいだった。
「世話んなってるしなぁ。断れねぇよな」、「やっぱ切原でも元部長はこえーんだな」と、クラスメイトたちはたぶん俺を労うために次々にそういう言葉を口にして、でも、その言葉選びになんとなく違和感を覚えたまま返す口を開いたら、
「ちげぇよ」
 思ったよりも冷たいような声が出て、目の前のやつらの表情があからさまに固まったのがわかった。それで俺はやっと焦って、「いや、部長なんて普段は全然優しいし、こえーのは元副部長のほう!」なんて付け足しながら、ちょっと大げさに顔を曇らせてみたら、クラスメイトたちは何事もなかったように笑った。そうして一言二言交わした後、片手を挙げてグラウンドへと戻っていくクラスメイトたちの背中をちょっとのあいだ見届けて、こんどは手に持った大きめのじょうろを見る。
 
 誰もいなくなった花壇で、幸村さんに教わった通りに土が乾燥していることを確認しながら水をやっていくと、じょうろから振り撒かれていく水のなかに、小さな虹が現れた。突然だった。
「うわっ」
 思わずそんな声が出て、手は止めずに水やりを続けながら、できる限り目を離さずにそれを見つめた。その時間はほんの数秒だけで終わったけど、この花壇の前に楽しそうに座り込んでいた幸村さんの気持ちを、俺が以前と比べて、ほんのちょっとだけでも理解するには充分だった。
 幸村さんは虹なんかを喜んでここにいたわけじゃないだろうけど、こうやって世話をして咲かせた花がこんなふうにきれいだったり、じょうろを傾けただけで虹が出たり、この花壇はそういう場所なんだと思った。
 俺はべつにいつだって、あの人と同じ景色が見たいわけじゃなかった。俺はあの人を超えたいだけだった。
 でも、この色とりどりの花に囲まれた俺の苗が、園芸屋で見たあの写真みたいな黄色い花を咲かせるところは、やっぱりちょっと見てみたい。
 それに、そうだ、幸村さんは、俺に水やりのしかたを教えてくれたとき、虹のことなんか何も言っていなかったから、俺もこんど世話の感想を話すとき、この虹の話はしない。なんとなくそんな意地を張ってみた。