「スーサイド・ダイビング」について
 
 
 どれだけ打ちのめされても三強に勝ちたいと泣く赤也、三強と戦えただけで幸せだと笑う丸井くん、というふたり。そして、「ナンバーワンになる!」と言い切る赤也を丸井先輩は気に入っている、という立海烈伝で明かされたふたりの関係が、まるっきりを好きになったきっかけだった気がするので、それがずっと根底にあります。
 
 まず、丸井くんについて。
 丸井くんは赤也みたいに「自分がナンバーワンになりたい」と考えているのか、そうだとも、そうでないとも言えないと思います。気持ちというものは、ものすごく定まった気持ち以外は、いろんな小さな要素が大量にミックスされて、いろんな色の混じった何色でもない色となり、それをとりあえず「赤」っぽい、「黄色」っぽい、とカテゴライズするように、「うれしい」「悲しい」などの名前でひとまず呼んでいるに過ぎないので、丸井くんがナンバーワンに「なりたいと思っている」「思っていない」のように白黒きっちり判定するのは本当の意味では不可能。
 ですが、とりあえず、丸井くんはダブルスプレイヤーということもあって、具体的な言い方で強いて言うなら、丸井くんはパートナー(特にジャッカル)と勝ちたいのだと思います。
 でも、それならたとえば三強一人ひとりとシングルスで試合をして負けたとして、何も感じないのかといえば、きっとそうではない。丸井くんはジャッカルと一緒に他のレギュラーの倍の重さのパワーリストを毎日つけて(力仕事は嫌いなのに)、サーカスを見ていてもテニスに結びつけちゃうくらいのテニス大好き少年なので、ダブルスとシングルスで種類が違うとはいえ、自分よりもあからさまにテニスに長けた同い年のプレイヤーが身近に三人もいる、ということに全く何も思わないわけはないと思うのです。当たり前かもですが。

 丸井くんはテニスのプレイスタイルも、立海というチームのなかのいち選手としての振る舞いも、自分のポジションに与えられた仕事を完璧にこなす、それ以上のことにはあえて出ていかない、というスタイルだし、テニス以外の日々の過ごしかたにも通じている。
 たとえば、幸村くんに深い友愛の気持ちを抱いていても、自分が彼の親友になろうとは思わないところ。名曲『待ってたぜ』の、「なんでもないフリをしても わかってたさ 俺だって」の「俺だって」というのは、真田とか柳さんとかみたいな、幸村くんの親友ポジションにはいなくても、俺だってわかってたよ、というニュアンスなのかなぁと思ってます。俺だってわかってるけど、「本当は何でも言って欲しいけれど いいよ」。
 こんな風に、自分の心の奥にある生まれたてのまっさらな気持ちが、そのまま、最終的な気持ちには結びつきにくい性格。それは丸井くんの優しさや視野の広さからなるもので、どの気持ちも丸井くんの本当の気持ち。無理してるわけじゃなく、どの気持ちも大切に、自分のものとして持っている。

 それでも、絶対に忘れられないのが、ワンダーキャッスル披露時の「返球に徹する事で俺は無敵になれる!!」というモノローグ。
 これマジですごいんだぜ、くらいの意味合いのものなのかもしれないけど、試合中の、思っていることを整理している暇のない丸井くんから出てきた「俺は無敵になれる」というワード。丸井くんも当然「無敵」になりたいのです。「無敵」とはつまり「ナンバーワン」。テニスが好きで、毎日たくさんがんばってて、「ナンバーワン」になりたいと思わないプレイヤーなんて本当にはいない。誰もが、誰にも負けたくないに決まっている。
 うまく言えなくて、読んでくださっているかたに伝わるかわからないのですが、丸井くんはナンバーワンになりたいけど諦めている、のだと思っているわけではないです。自分のポジションの仕事を完璧にこなすことが丸井くんの美学であり、誇りでもある。
 でも、自分自身ただひとりのテニスプレイヤーとして、自分の立ち位置なんか全く考えずに、相手が明らかに自分よりも強かろうが、「勝ちたい」「誰にも負けたくない」という、最初に持った気持ちのかたちがどんなときでも全く変わらない、そんな赤也を丸井先輩がおもしろがって気に入ったのは、自分との違いゆえだろうと思います。
 
 そして、赤也について。
 赤也は、自覚的に思考するのではなく、ふっと感覚的に何かを思ったり、感情というものを、自分の頭のなかでも言葉を経由せずに育てたりすることが多い人なのではないかと思っています。大事なことほど。
 だから、最初に生まれた気持ちにあとから(赤也にとって)余計なものがつきづらい。思考の、気持ちの純度が高いまま、赤也のなかで保たれる。
 そういうところがきっとアスリートとしてすごく強いところなんだと思うし、しがらみなく「ナンバーワンになる」と言える部分につながっているのではないでしょうか。
 そんな風に冷静な温度で、内心で育ててる大事な気持ちがいくつかありそう。頭のなかで言語化して意識的に把握してるわけじゃないけど、ちゃんと無意識に考えて、揺るぎない意志に換えている、みたいな。
 関東大会決勝シングルス3で柳さんが負けたとき、自分にとっての最強の存在である三強のひとりの柳さんが負けたのに、ああやって「自分が勝てば立海の勝利に変わりはない」とすぐに切り替えられるのは、彼のそういう部分ではないか。
 過去に、自分が越前に草試合で負けたことで、負けるはずないと思っていた相手に負けることがある、そういう試合がある、という初めて知った深い深い事実をインプットした。それで弱気になるんじゃなく、悶々と考え込むわけでもない。でも、無意識にそのことについて考えて、ちゃんと受け入れているから、それからは似た場面が訪れたとき、強く冷静に生きるのがうまくなる、そういう人に思えます。
 
 赤也の、そんな冷静な思考力を持つ部分が、『スーサイド・ダイビング』で彼が丸井くんに好きだと言ったときの感覚でした。
 気持ちが盛り上がったから告白したんじゃなくて、そのとき丸井先輩という人との空間に対して、余計な感情が入っていなくて、すごく冷静だったから好きだと言ったのです。
 キスも告白も衝動的なものではありますが、その衝動は冷静に自分の気持ちと向き合ったゆえのことで、だから、このときの赤也は、テニスをしてるときの赤也に近い振る舞い方です。勝ちたいからテニスをする。相手に対して持っている気持ちを伝えたいから伝える。それだけ。もしも試合で負けたら悲しくて悔しくて嫌だから、とか、しんどいからテニスをしないとか、そんなわけもない。
 タイトルについては、極論ですが、三階の窓から飛び降りることは、足で窓をくぐって体重を外に向ければいいだけなので、それ自体は簡単なことです。でも、そんなことをしたら結果的に大怪我するとか、死ぬかもしれないとか、「飛び降りること」そのものにはいろんな他の要素が当然ついてくるから、だから「飛び降りること」は危険だし、簡単だなんてとんでもないということになる。
 赤也はテニスには常に夢中になっているけど、丸井先輩に対して持つ感情には夢中にはなっていないので、焦ったり動揺したら集中力が切れて、冷静ではいられなくなります。やばい飛び降りちゃった、大怪我するかも、死ぬかもしれない、みたいに、いろいろ考えだします。赤也は本来、大事に思っている何かについて、そんな風にごちゃごちゃ考えることに慣れていない。大事なことについてほど、無意識下で気持ちを育てる人だからです。
 ナンバーワンになりたい、それだけが普段の赤也が持ち合わせている、自覚的な大切なこと。その気持ちに対しては、いつでもまっすぐに向き合えている。だから、今回みたいに、何かこうしていたい、という強い想いがあるのに、自分自身がうまくそれに向き合えないという状況が気持ち悪くて、苦しい。
 そして、他でもない気持ちの対象である丸井くんに、それでいいのかと指摘されたことで、赤也が言語化せずに頭のなかで育てていた「このままじゃ嫌だ」という感情が剥き出しになって、形になって、涙が出る。
 告白を忘れてほしいと言う赤也に、丸井先輩が、テニスをするときにも同じことを言うのか、といったことを言うシーンがあるのですが、そのくだりがいちばん書きたかったふたりでした。
 丸井くんが最初に見た赤也は、すでに「ナンバーワンになる!」と意気込んでいて、三強にこっぴどいまでに倒されてもそれは変わらなかった。そういう風に、自分の気持ちを何がなんでも大切にする赤也のことしか丸井くんは知らない。
 それに、なにより、ふたりともテニスが大好きなのに、三強に勝ちたいと泣く赤也と、三強と戦えただけで幸せだと笑う丸井くん。そこが赤也と丸井くんのいちばんの違いだからこそ、丸井くんにとっては、赤也がどんな状況でも、最初に持ったまっさらな気持ちを、なりふり構わず大切にするところが、なによりの赤也らしさだと感じる。
 だから、赤也の気持ちが自分に向けられていることへの感情以前に、まず、テニスの話じゃなくても、なんだか強く持っているらしい気持ちに蓋をしようとする赤也のことが、丸井くんは気に入らないのです。自分がひとめで気に入った、赤也らしさを消そうとしているから。
 
 実際には、赤也が持つ、なにかへの大切な気持ちすべてを、赤也自身がテニスへの気持ちと同じくらい大切にするのは、本当は難しいことなのかもしれないと個人的には思います。でも、高校一年生の丸井くんには、どんなときでも、なにに対しても赤也は赤也だ、と心から言い切ってくれるような、テニスプレイヤーとしての切原赤也への強い印象と、丸井くん自身の若さみたいなものがあるし、丸井くんがそう伝えたら、赤也はほんとうに自分の気持ちに向き合えてしまう。本来むずかしいはずのことでも、信頼する仲間の後押しで、赤也は自分の気持ちを大切にできる。
 丸井くんがそうやって後押しをしたのは、普段のテニスをしているときの赤也の姿が、丸井くんのなかに強くあるから。入学してきた日の姿があるから。自分とはちがう力を持った、そんな赤也のことを大切に思っているから。
 そして、赤也が丸井くんの言葉に動かされたのは、丸井くんのテニスは赤也のそれとちがって、技の華麗さなど勝利以外にも価値を見出したものであるけれど、それでもやっぱり彼も自分と同じように、誰にも負けたくないただひとりの選手であることを赤也は知っているから。そんな共通の想いを持っているからこそ、わかってくれることがある。テニスのプレイスタイルもまるでちがう、今はお互いに恋愛感情を持っている/持っていないという点でもちがう、いろんなことがちがっても、「自分がなにかに対して強い気持ちを持ち、それに向き合う」ということそのものをこの人はわかってくれる。認めてくれる。その対象がテニスだろうが、丸井くん自身であろうが、「赤也は赤也だ」と、想いそのものを肯定してくれるという信頼があるから。
 三強みたいに意識して、絶対に倒したい選手なわけじゃない、気に留めなくてもいいはずの、そんな仲間がいることが、赤也が立海で得た「幸福なついで」だと、このシーンをどうしても書きたくてブン赤を書き始めたような気がするので、当時書き終わったときはもしかしたらもう何も書けないのかも……などと思ってました。全然そんなことはなかったですが……(笑)
 
 本編かのように長々と語ってしまいましたが、そんな感じをこめました。
 『スーサイド・ダイビング』はその前につながっているお話の『海岸通り』や『誰のせいだ』を書いた4年も後に公開したのに、つなげて読んでくださった方々がたくさんいらっしゃって、びっくりしたし本当にとってもうれしかったです。
 4年越しに『スーサイド・ダイビング』を書こうと意気込んでしまったのは、新テニスでの赤也のドイツでの試合が本当に本当にかっこよかったことと、STRENGTHを読んで、雪のなかコンビニのアイスを食べるふたりなどなどにあまりにもやられたことがきっかけでした。STRENGTH、もーのすごいです。みんなの仕草の癖の公開にもあまりにも撃ち抜かれました。あんな情報最高すぎる。丸井くんの「頭の中を整理しているときにつま先を地面にグリグリする」という情報はすてきすぎて、今回こっそり取り入れさせていただきました。赤也のペン回しにももちろんときめきましたが、彼がペンを持つ気配はありませんでした(笑)
 そんなこんなで、今このあとがきを書いてるのは『スーサイド・ダイビング』を書いた頃からなぜかさらに2年半後なのですが、もしもこんなに長々としたものを読んでくださってる方がいらっしゃいましたら、もうなんと申し上げていいやらです。本当にありがとうございます。それでは失礼いたします!