他人への呼び方、ひいては接し方について

 
 
 呼び方について、くん付けについてです。丸井くんが「くん付け」する相手といえば「幸村くん」と「ジロくん」ですが、その「くん」の付け方は異なると思っているので、それについてだらだら語ります。

 いちばん最初に丸井くんが幸村くんを「呼んだ」タイミングはわかりませんが、たぶん一年生のとき。彼にとっての最初の幸村精市は、同学年の異例の一年生レギュラー。とんでもない三強のひとり。それもそのなかでいちばん強い奴。そんな、誰ともちがう異質な存在、どんな奴かと思ったら、話してみるとわりと普通で、寧ろ「結構気が合う」。(普通は「気が合う」って言ったら趣味とかが合うってことだと思うのですが、ふたりの趣味は全然被ってませんよね。レンジとブラームスだし。でも、ふたりともお兄ちゃんで、おばあちゃんのいるあったかい家庭で育って、人やものへの接し方、やさしさが似てるのかもと思います。ふたりが会話をするうちで、お互いに縁のない話題でも、相手の考え方だったりに共感することが多かったりするのかも。)
 その、異質で特別だけど、結構気が合う一年生の幸村くんは、一年生の丸井くんにとって、ちょっと住む世界はちがうけど、コートを出て話をしたら、ちゃんと自分の友達。呼び捨てにするほど遠くも、近くもない。
 そして、丸井くんが幸村くんのことをいつからとても大事に思い始めたかはわからないけど、きっと「テニスが誰よりもものすごく強い、ただひとりの人」というだけで、テニス大好き少年である丸井くんには、憧憬をこめた特別な人にうつるでしょう。選手として特別なそんな人は、自分の友達でもあって、なんとなく大事にしたい人。そんないろんな思いが、「幸村くん」呼びを形成した感覚で、その本質は三年になって、同じレギュラーになって、同じチームで優勝を目指すようになってからも変わってないのだと思います。だから呼び方も変わらない。
 名曲『待ってたぜ』が自分のなかで丸井くんの幸村くんへの感情を考える基盤となっているのですが、「わかってたさ 俺だって」の「俺だって」という言葉は、自分以外の誰かのほうが幸村くんをもっとわかっていることを前提とした言葉だと思います。その誰かというのは、最初から幸村くんと同じ世界にいた真田とか、柳とか。幸村くんが苦しいとき、何かを吐き出すことがあるのならば、相手は自分じゃないだろう。「本当は何でも言って欲しいけれど/いいよ いいよ そのまま/そんなお前が好きなんだから」。幸村くんと同じ世界を生きてきておらず、別世界にいる自分には弱音を吐いたりしない、そんな彼は「幸村」でなく「幸村くん」。住む世界の違う自分を、何でも言える相手にしなくていい。だから俺の前では「幸村くん」のままでいていいよ。三年生になって、同じチームに居ても、「幸村」と呼び方を変えることはしない。話す回数が増えて、会話の距離が前より縮まっても、丸井くんのなかで幸村精市という人と自分の関係の本質は変わっていないから。(ちょっとややこしい話ですが、丸井くんがもし自分のことだけを考える人なら、幸村くんへの「本当は何でも言って欲しい」という感情に重きを置くと思うので、もっと近くなりたいという思いをこめて、その場合も「幸村」呼びになりそうだけど、丸井くんの人格的にその場合は起こりえない。やさしい。)
 さらに、幸村くんという存在は丸井くんにとってとても特別なんだなぁと思わされるのは、声に出す呼び方というものは、自分だけでなく、当たり前に相手にも聞こえて、相手にも「この人は自分をこう呼ぶ」と認識されるものだということです。丸井くんは聡くて、人と接することに長けているので、心のなかでお前は俺のなかで他の奴とは違うんだよなぁ、と思いつつも、相手からみられる場所ではごく普通の態度で接する(=「幸村」って呼ぶ)、とかやりそうなんですけど、それをせずに「幸村くん」と彼を呼んでいるわけで、それは、「俺には『幸村くん』でいていいよ」という、言わば「俺にとってお前はこうなんだよ」、という思考を、彼にしては珍しく、そのまま相手に丸出し(というには些細な事象すぎますが)にしている感じがします。
 相手へのサービス要素なしで、彼なりに「自分の思考のために」何かを、ここではくん付けをしているところがとても貴重。ジローのことをくん付けするのとはまた話がちょっと違うと思います。

 ジローとのことに関しては、まず彼らは他校同士で、ある程度距離のある呼び方をしても違和感はない。そして、ジローは丸井くんに憧れているから仲良くしたいけれど、憧れているから仲良くしすぎたくはない……つまり、お互い「くん」付けをやめて、呼び捨てにしあって、まさに「何でも言」い合うような本当のマブダチとしての関係を欲されているのではなく、憧れのスターとしての対応が欲しいのだと無意識にわかっているから、あえてちょっと距離を置いた呼び方で「ジロくん」。俺はお前のことちゃんとスゲーと思ってるけど、俺たちは住む世界が違うというか、遠いんだよね、どっちが上とか下ではなく……というスタンスの「くん」付け。「ジローくん」でなく「ジロくん」という愛称っぽい呼び方なのは、ただファンとアイドルの関係ではなく、すでにじゅうぶん友達でもあるという丸井くんの表現のように思えます。
 丸井くんとジローの関係性は本当に神奈川と東京というのがぴったりで、行こうと思えばいつでも行けるけど、ちょっとは電車に乗らないといけない、近所みたいに気軽ってわけじゃない。その距離感がふたりの比喩のようです。彼らはお互いのことが好きだし相性も良いので、彼らのどちらかが本当に相手と親友になりたいと思い、アクションを持ちかけさえすれば、もう片方はきっと簡単に応えてくれるし、うまくいくと思います。でも今のところはお互い親友になろうとはしない。今後もそのままなのか、いつか何かをきっかけに大親友になったりするのか、知りたいばかりです。

 そんなこんなで、丸井くんは基本的には相手がこう感じるだろうからこうする、というのを無意識にやりがちな人。相方のジャッカルに対しては自己中ジャイアンの芸風ですが、ジャッカルに甘えるのも、言い方を選ばず言えばジャッカルがそれを喜ぶし、自分もうれしいから、そのふたつが揃ってるからやってる。喜ぶって言い方はちょっと変かもですが、ジャッカルは自分と丸井くんが相思相愛なのをわかってて、かつ丸井くんがジャッカルにだけあからさまにわがままを言って、それをしょうがなく聞いてやる、という双方の愛情表現をジャッカルが楽しんでいることをわかっているし、かつ自分もなんか食べられたりしてうれしいし、珍しくひとに甘えられて心地良いからやってる。丸井くんって、本来べつに全然ラクしたがりじゃないから、なんでもジャッカルにやってもらうのは、そういう双方の気持ち由来だと思います。たとえば真田にその態度をしないのは、真田が怖いからじゃなくて、真田はふつうに嫌がるから。だからやらない。
 ほかには、好きなタイプを聞かれて「バレンタインチョコくれる子」なのも、たぶん丸井くんのなかで本当に「自分はこういうタイプには弱い!」みたいなタイプがまだあんまりないというのが前提にあるかもしれないけど、リボン似合う系女子が好きなのはデータにあるわけで(?)セクシーよりキュートが好きなんじゃないでしょうか。たぶん。それに、赤也みたいに「一緒にいて楽しい子で!」と自分が楽しいかどうかで簡単に回答したっていいわけです。でも、キュート派と答えるわけでもなく、自分の感情を軸にするわけでもなく、丸井くんの好きなタイプに当てはまろうとしたら誰でもなれる、という全員応募サービスの「バレンタインチョコくれる子」。自分のこと好きな子たちはサービス応募権をもらえてうれしいし、自分はその結果チョコがもらえるからうれしい。ジャッカルへの態度と同じにwin-win。でも、実際チョコをあげようが、ほんとうに「好き」になってくれるわけではない……みたいなところが丸井くんすぎる。
 そんな風に、「ジロくん」だったりジャッカルへの甘えムーブだったり、好きなタイプの答え方だったり、相手が喜ぶし、自分もそれが楽しいから、という行動をとりがちな丸井くんなので、自分の思考由来の「幸村くん」呼びはそんな彼のとても珍しい部分で、彼にとって幸村くんが特別であるのがうかがえて大好きです。もちろんジャッカルなんて別の意味で丸井くんの特別ですし、ジローもなのですが。
 そして特別といえばキテレツもですよね。神奈川と東京じゃなくて、神奈川と沖縄だからこそ、丸井くんが見せられる顔があって、そんなふたりの友情もまた、あまりにも特別でさいこうです。
 ヒロシは一年生のときとかにプラチナのどっちかが同じクラスだったのかな、とか勝手に想像してます。立海に入りたてで、たまたまそばに同じテニス部の骨のありそうなやつがいて、仲良くなりたくて、の呼び捨てそう。丸井くん発祥にしろジャッカル発祥にしろ、友達の呼び方がうつるプラチナかわいい。なんとなく丸井くん発祥かなと思ってます。誰かのことを呼び捨てにしはじめて、それが周りにも広がってく丸井くん、いそう。それで、赤也のことも丸井くんが名前で呼び始めたと勝手に思っています。三強が呼び方を切原から赤也にわざわざ変えるイメージもそんなにはないし。わりとあるかもですがね。でもブン赤だといいな。急なブン赤希望締めになってしまいましたが笑、長文語り、読んでくださりありがとうございました。