天才の話
 
 
 「やっぱり、すごいよね」と、向かい合いで彼が言った。俺の作ったケーキの最初のひと口だとか、ふた口だとかを飲み込んで。
 その隣に並ぶ紅茶の入った器は、氷の混じったグラスから、あるいはもっと言えば学校帰りのコップ付きの魔法瓶から、ティーカップに衣替えをして少し経つ。
「うまい?」
「うん、すごくおいしい」
「そりゃあ良かった」
 もらい慣れている言葉も、少しばかり特別に聞こえた。
 微笑みをたたえた唇を、片手で持ち上げたカップに付ける彼がそこに居ることそのものを、視界の真ん中にうつす。見入るわけもない。すぐに目線を下げ、食べかけの自分のケーキにフォークを刺した。
「慣れてたり、器用なだけじゃなくて、きっとセンスも良いんだろうな。料理のことは俺にはわからないけど、すごいよ」
「なんだよ。やたら褒めるじゃん」
「はは」
 初めて会ったときからだ。誰かの願いを詰め込んだ幻のような背中をしているくせに、彼は誰よりも実在していた。
「でも、ずっと思ってたことなんだ」
 彼はいつだって俺の前ではこんな風に笑っていたし、俺だってそうだった。きっとそれが一生変わらないことを、俺はずっと知っていた。それでよかった。だってこの友達は、俺の前で泣いたりなんかしないのだ。
 吹き込む秋の空は高い。わき目も振らず、後ろも返らず、痛みが生まれるほど渇かせたり、その逆もあったろう両目を、先にだけ向けていたあのときよりも、彼も俺も、ずっと広い場所にいる。
 フォークを置いた音のあと、ありがとう、と彼が言った。あの狭い部屋から持ち帰り、遅れて届けてくれたらしい、誰からももらい慣れた言葉がやっぱり特別に聞こえた。彼は知っているだろうか。俺は十二の時、本物の天才に出会った。