未題
 
 
 神奈川に越してきた春、まずは異物感があった。それはこの土地というよりも、むしろ俺自身に。大人も子どもも男も女も揃って標準語で話すこの土地の住人の声は、西で南で育った俺にはまるで映画の台詞のように聞こえた。エキストラが、エキストラが、エキストラが、俺に話しかける。フィクションのなかにいる本物の俺は異物だった。まるで偽物であった。
 神奈川に越してから約一年が経った。そのあいだに、テニスは俺とフィクションをいつしか容易く結びつけた。テニスでの勝利や敗北、そして、それらに辿り着くまでの球を打つ感覚は間違いなく今までの現実の延長にあるもので、その感覚は、これまでにはありえなかった、映画の登場人物めいた三人の同級生の存在すらもリアルに感じさせた。
 奴らは現実だった。奴らは台詞など吐かない。
 神奈川の冬は天気予報で見る限り気温は低くないようだったが、海のそばを通るとどうにもこれまで暮らした場所よりも風が寒いように感じた。二月になって、とある放課後に俺ははじめてこの学校の大学の校舎を訪れた。中学の校舎から徒歩で数分の場所にあるそこを訪れた理由は、映画だった。大学図書館の横には小さなシアタールームがひっそりと併設されており、一年に一度、中学生にもそこで映画を見る機会が与えられる行事がある。教室で配られたプリントに載せられた映画のタイトルは知らないものだったが、俺はその場で申し込み用紙に名前と希望日時を書いて教卓の上に提出した。なんとなくだった。映画を見ることは嫌いじゃないし、部活での練習よりも、放課後の時間に行われるそれに参加するような日が一日あってもいいと思った。何より、わけのわからないタイトルがふと気に入った。これがいちばんでかい。
 大学の門をくぐり、その敷地のなかで、中学の制服を着た俺や同級生たちの幼い姿は浮いているのだろう、私服姿で髪を染めた大学生たちはすれ違いざまに皆こちらを見ていた。それで俺は、自分が異物となるその感覚を味わうことが久しぶりであることに気づき、月日の流れを感じた。
 シアタールームは思っていたより小さく、クラス全員が座れるか座れないか曖昧な席数しか用意されていなかった。ただ、それでも今日埋まった席は半分ほどだったから、きっとこれで充分なのだと後方の座席で思った。同級生たちはついさっきまでいつもとちがう環境にはしゃいで、友人同士でささいな会話を繰り広げそれなりに盛り上がっていたが、希望者のみが参加している行事のわりに、いざ上映が始まると、俺の視界に入る前の席のふたつの頭は揃いも揃って、それぞれ別の方向にゆっくりと傾いていった。
 いつもとは逆だった。
 普段の授業中、浅い眠りから覚めて、そのまま前へと視線を向ければ、机に伏していた俺の穴を埋めるように、同級生たちの頭は大抵しっかりとつむじを上に向けているが、今はその反対だった。
 そのまま二時間と少し、後方の座席で過ごした。約一年前、この土地でかつて自分を異物とした俺は、今この小さな映画館のなかでおそらく一等の客だったろうと思う。頬杖をつきながらでも。なんせ、いつもと逆の世界で、たった一枚の薄いスクリーンに映し出されたもうひとつの世界と俺との境界線はその日まるでないに等しかった。きっと彼のひそかな狙い通りだ。
 シアタールームを出て、大学を出て、俺はそのまま帰路についた。俺のいくつか持っているルートのひとつ、壁打ちのできる、ひとけのない公園を経由する道を選んで。ひとつ前の春まで、この道を、俺を追い抜いたりすれ違っていく通行人たちを、映画のセットやエキストラのように感じたこともあながち間違いではなかったように思えた。なぜならフィクションと現実に、偽物と本物にあえて区別をつけることは重要なことではなく、今の足取りの俺にとっては全てが本当だった。台詞も言葉も、神奈川の気温の数字も冬の潮風の体感温度も、肩に背負うラケットバッグの重さも。とりたてて重要なことは、たとえば早くあの公園に辿り着くことだけだ。俺にはそれが全てだった。